
教会学校のニュースレター:2012年5月号です!
ローマ人への手紙第一章 1節~17節
神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙は宗教改革の書として知られています。 マルティン・ルターが「義人は信仰によって生きる」ということばに触発され、信仰義認という真理に気づき、「ローマ人への手紙の解説書をのろしとして宗教改革が始まり、プロテスタント教会が生まれたわけです。人々は聖書を読むようになり、教会に熱心になり、伝道するようになりました。今まで祭司達、牧師達が活動していた宗教ですが、信徒達が伝道師であり、祭司であると言って、信徒活動が盛んになりました。 16世紀のことです。
ところが、その前、 4世紀にアレキサントリヤのヒッポという所で、アウグスティヌスという大司教が偉大なるわざを行いました。彼は肉 欲、特に性欲の中に溺れて生活していましたが、母モニカが熱心に祈っていました。彼が肉欲の中でみだらな生活をしていた時、子どもたちが遊んでいて「取って読め、取って読め」と歌を歌っていました。その時に彼は母親から与えられていた新約聖書を開いてみたら、ローマ人への手紙 13章 13~14節が目に飛び込んできました。彼は改心し、大司教として大いなる仕事をします。彼はローマ人への手紙によって救われ、ローマ人への手紙によって、その信仰を表明していきました。
しかし、恐らく史上最大の宗教改革と呼ばれるものは、英国において起こったメソジスト運動です。中心となったのはジョン・ウェスレーですが、彼は牧師の家庭に生まれ、訓練を受け、極めて優秀で、 18歳の時に大学を卒業し、 25歳の時には教授として教えることができるほどでした。教えをしっかり守り、几帳面な生活をしていたので、あだ名がメソジスト。 Methodologica lに、几帳面に生活する人という意味です。彼はアメリカのインディアンに伝道したいという願いを持ち、大学の職をやめてアメリカに行ったのです。しかし大失敗に終わり、帰らざるを得なくなって乗った船が、大嵐に会いました。モラビアの女、子ども達が台風の中で聖歌を賛美し、お祈りし、平安の中にいる。しかし、自分は死が怖くて、怖くて仕方がない。自分は教授であり、牧師であり、キリスト教の専門家であり、ギリシャ語もヘブル語にも精通している。どうして、彼らには恐れがないのか。どうして私は死ぬ事が怖いのか。
ロンドンに帰って、アルダスゲートで行われていたモラビア派の集会に臨んで、その時に司会者がルターの書いた「ローマ人への手紙の解説書」が朗読されているのを聞いた瞬間に、自分の心が不思議に燃えるのを感じた。その瞬間に、自分は全くキリストに信頼する事ができ、その時に「私は救われたのだという不思議な確信を持ったのです。 それから、英国に火がついたようなリバイバルが起こり、それが全世界に広まって、日本でも戦前は、一番大きな教会がメソジスト教会と言われました。アメリカにおいてもすさまじく発展し、アメリカで一番大きな教会、或いは世界中で最も力ある教会がメソジスト教会となったのです。 彼が用いたのは、ローマ人への手紙の5章のことばでした。
現代において最も大きな影響を与えた教会を一つ挙げるなら、カルバリー・チャペルです。チャック・スミス先生がある教会に招かれて牧師になったのが始まりでした。先生はそれまで17年間、失敗だらけの牧会だったのです。その時招かれた教会は25人のメンバーでしたが、信徒の中に分裂が起こっていて、12人対15人という争いの中にありました。ところが、その教会に偉大なる力が注がれ、現在では世界中に5000以上のカルバリー・チャペルがあります。
チャック・スミス先生が御殿場のYMCAの施設で青年宣教大会に招かれ、1200人の若者たちが集まった時に、私は通訳をしていましたが、メッセージが終わって宿に帰る途中、先生が足を止められてスピーカーから流れる賛美に耳を澄まされ、「コウイチ、私は本当に不思議に思う。あの私の教会でつくられた賛美が、こんなところにおいても奏でられ、歌われている。アメリカ中で、ヨーロッパでも」。今日私達が賛美しているプレイズという賛美は、このカルバリー・チャペルから生まれているのです。カルバリー・チャペルでは、毎年数千人の音楽家が集まって、万という数の新曲が発表される会が開かれています。賛美一つとっても、全世界がカルバリー・チャペルの影響を受けているのです。私達の教会も、アレックスやジェレマイヤの家族がカルバリー・チャペルから来ています。オラクルという会社に勤めている中国系アメリカ人の若い夫婦が、今カルバリー・チャペルのバイブルカレッジを卒業してホライズンで奉仕をしたいと申し出ています。全世界にカルバリー・チャペルの教会があり、宣教師を送り出していますが、もともとは25人の教会員から始まったのです。
そのチャック・スミス先生が、「ローマ人への手紙を読めば、教会は変わる、個人は変わる、とおっしゃっているのです。 私も、このローマ人への手紙を聖書の心臓部と呼んで「これだけは知ってもらいたい」という本を書きました。
パウロはここに、ローマへの憧れ、そこに行きたいという思いを隠そうとはしません。これほど熱烈に、私はローマのことを考えない時はない。いつもローマとローマの教会のことを考えている。「私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに 会いたいと切に望む」とローマに行く事を切望して、ローマの中で福音を伝えたいという熱烈な情熱をローマに向けていたわけですが、しかし、妨げが起こって、どうしても行く事ができない。パウロは異邦人の教会で集めた献金を、何とかしてエルサレムの教会に届けなければいけない。エルサレムに行かなければならないと考えていたのです。
彼はコリントにいました。アドリヤ海に面していて、船出するならばローマに5日間くらいで、あっという間に着いてしまいます。一方、エーゲ海の方に行くならば、エルサレムに向かう船がある。ケンクレア、コリントという2つの港があり、25キロしか離れていません。ケンクレアとコリントは一塊の都市と考えられ、貿易がとても盛んな場所でした。パウロはきっと迷ったと思います。エルサレムにどうしても行かなければならない。それからローマを必ず見なければならないと言って、エルサレムに行ったので、かなりの回り道をしたことを、使徒の働きで勉強しました。
パウロはどうしてもローマに行きたかった。ローマは世界一の都市でした。すべての道はローマに通ずるというほど、ローマから世界に、世界からローマに行く事ができたのです。パックス・ロマーナと言って、ローマの平和、ローマが世界に君臨して世界に平和をもたらすという使命感のもとに政治を行ったのですが、絢爛豪華な文化がそこに花開き、ローマにおいては法学を初め、ありとあらゆる学問が花を開いたのです。政治はパワフルなもので、軍隊は今までの帝国を凌駕する力を持ち、商業においては地中海貿易が大いに栄えて、良きものがローマに流れ込みました。建築物においては、コロシアム、或いは8千人も同時に入る事のできる大浴場、チャリオットレース場、図書館、カイザルの宮殿、特に神殿建設には財と技術のすべてをつぎ込みました。それだけでなく、至る所に水道を走らせ、水道橋、人々が通るためではなく、水を流すための橋を今でも見る事ができます。そのような技術を持っていたのですね。何という大繁栄を遂げたことかと思いますが、人類の歴史において、ローマほどパワフルな権力を持った国はありませんでしたし、そのパワーが永続した国もありません。今日のアメリカのパワーはその10分の1にも及ばないでしょう。当時の皇帝のパワーとオバマさんのパワーはくらべようもないのです。
パウロは、ローマにこそ、伝道のチャンスがあると考えました。ローマを攻略するなら、世界を攻略することができる。ローマで福音を伝えるなら、世界に伝えることと考えることができると考えたのです。最も影響力のある人々、大物たちがローマにいる。学問においても、軍隊のリーダーも、政治家達も、建築家であろうと、学者であろうと、歴史家であろうと、大物がローマにいる。
サンタバーバラで牧師をしていたとき、友達が釣りに連れて行ってくれました。桟橋で、鯛をつるのです。その友達は一年に一度メキシコ湾まで足を伸ばしました。船を借り、ガイドを雇い、一週間の釣りに行って、カジキマグロを釣りますと、日系人の教会員に電話がかかってきて、お刺身食べ放題、帰りにはマグロの塊をおみやげに下さる。私は一番おいしいトロの部分をもらってきました。しかし、サンタバーバルの桟橋では、カジキマグロは釣れません。
パウロは、カジキマグロはローマにいると考えたのです。やはり彼は大物でした。彼自身が大物でしたから、大物狙いをしたのです。大物はローマにいる。だから、ぜひローマに行きたいという熱烈な気持ちがあったのです。
彼が第二次宣教旅行に行った時には、エペソに行きたかったのですが、神様が強引にマケドニヤに連れて行き、それからテサロニケ、ベレヤのようなところを通り、ついにアテネに来て伝道しました。しかし、空振りに終わってしまい、コリントに来たときには、「私は恐れ、おののいていた」と書いています。全く自信を失ってしまったのです。コリントに行くのが怖かった。アテネで救いに対する応答がほとんどないので、コリントでは一体どうだろう。コリントの港町に行ったら、そこは性的に非常にみだらなところで、男性同士の同性愛が非常に盛んで、普通に行われていたと言います。ユダヤ人のパウロは、コリントに行ってそういうものを目にしてびっくりして、コリントでは全く自信がなかった。
そういうわけで、コリントに来て、パウロはすぐには伝道しませんでした。おそれおののいているパウロを救ったのは、アクラとプリスキラというクリスチャンのカップルです。彼女の家では家庭集会がもう開かれていて、彼女は最初の女性聖書教師です。大勢の女性達が集まって、彼女から福音を学んでいたのです。パウロのことを聞いて、「どうか、私達のところにお泊りください」と、招いた。パウロはなかなか伝道に出かけないで、アクラがテントメーカーだったので、アクラと一緒にテントをつくっていました。パウロでも自信喪失することには驚きますが、コリントの町に出て行くのが怖かったのです。テモテとシラスがマケドニヤの方から来てから、やっと伝道する気になったようです。
パウロは、コリントの町は好きではないから、早く去ろうと思ったのですが、主は幻によってパウロに現われて、「恐れないで、語りなさい。黙っていてはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」とどまりなさい、と言われて、逃げられなくなってしまった。パウロは一年半の長期滞在をして伝道しましたが、それはプリオスキラとアクラというサポーターがいて、助けてくれたからだと思います。
それから念願のエペソに行きましたが、その時は短期間で、母教会であるアンテオケに帰りました。そして第三次伝道旅行を試みた時に、またエペソに来て、今度は二年間滞在し、ツラノの講堂というところで毎日伝道したので、アジヤに住む者は、ユダヤ人もギリシャ人も皆福音を聞いたと書いてあります。それからマケドニヤを通って、またコリントに行きました。コリントに暫く滞在した時に、このローマ人への手紙が書かれたのでしょう。
以前、プリスキラとアクラの家に一年半滞在したことがあります。彼らは、クラウデオ帝の時代にユダヤ人達がローマから追い出された時に、コリントに来ていたのです。そこで、ローマにおいてどのように教会が誕生したか、パウロに説明しました。ペンテコステの日にローマからエルサレムに来ていた者達がいて、あの日に3千人が一挙に救われたのですが、その中の幾人かがローマに帰って来て、教会を設立した。と言っても、教会堂を建てたということではありません。家で集会を始めたら、一人二人と救われる者が起こされるようになったのです。当時はユダヤ人会堂がローマに12あったことが確認されていますが、ユダヤ人もギリシャ人も信じるようになって、家庭集会が起こり、それが次第に増えて行ったのです。
他の場所でパウロの教えを受けた者達の中にも、ローマに行った人達がいて、そのような人達も家庭集会に参加したり、リードしたりして、教会が増えて行って、成長しているという報告です。
ところが、ローマの教会にも色々混乱があるという。恵みによって救われるという事がよくわからない。善行と恵とはどういう関係にあるのだろうか。モーセの律法をどうしたらいいのだろうか。今までモーセの律法を一生懸命守ってきたが、これからも守らなければならないのか。それとも、忘れてもよいのか。旧約聖書において、イスラエルは特殊な、選ばれた民でしたが、信仰によって全ての人が救われるなら、イスラエルの特殊性というのは全くないのか。イスラエル人であることには、もう意味がないのか。ローマという異教文化の中で、この信仰をどうやって実践していったらいいのか。
パウロはアクラとプリスキラから色々な事を聞いていましたので、いつか、ローマに行って話をしなければいけないな、と思っていたのです。そうこうしているうちに、ケンクレアの女性執事、フィベという人がローマに行く事になりました。ユダヤ人の社会では女性がそのような役割を果たす事は認められていなかったのです。今日でも男性の席、女性の席が分かれています。お祈りの中で、女性に生まれなかったことを感謝しますというお祈りもあるくらいですが、そういう時代にあって、キリスト教が起こって間もない頃に、すでに女性の聖書教師があり、女性の教会リーダーあり、女執事というシステムができていたのです。フィベはパウロを助け、多くのクリスチャンを助けている女性でした。彼女がローマにいくことをお話して、「パウロ先生、私は何かできることがありますか」と言ったら、パウロは「よし、手紙を書くから持って行ってくれ」と言って、書かれたのがローマ人への手紙です。
56年にパウロが第三次伝道旅行でコリントにいた時に書かれたものが、このローマ人への手紙ですが、女性の手に託されて運ばれ、あした。「この大切な手紙。でも、フィベなら絶対大丈夫」という事で、パウロの力作がフィベに託され、ローマの教会に持って行かれたというのがこの手紙です。
特徴は、それらの質問に答えるために、非常に教理的であり、論理的だということです。
1節を読むと、「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」、このことばを、他のパウロの手紙と読み比べてみました。このような挨拶は一度も出てきません。多くの場合は、「神の御心によって選ばれ、使徒となったパウロ」ですが、ローマ人への手紙だけは、「神の福音のために」と、福音ということばでこの手紙が始まって、福音が前面に現されているのです。2節を見ると、「この福音は」と書いてありますし、9節には「私が御子の福音を」と書いてありますし、15節には「ぜひ福音を伝えたい」と書いてあり、16節には「福音を恥としない」「この福音は」と書いてあり、福音、福音、福音と書き連ねています。これは他のパウロの手紙には見ないものです。
パウロの人生を皆さんと勉強しながら、何がパウロを動かしていたのかと思います。彼は、実は体の弱い人でした。まず、目が悪かった。パウロの手紙と言っても、自筆で書いた物はありません。最後の挨拶だけが自筆なのです。ガラテヤ人への手紙には、「ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、自分のこの手であなたがたに書いています」と書いてあります。高価な羊皮紙なのに、どうして大きな字で書いたかというと、目が悪いので小さな字が書けなかったのです。だから、手紙は筆記者に書いてもらいました。ガラテヤの人達は自分の目をくりぬいて、パウロに差し出したいと思うほどであったと書いてあります。
多くの学者達は、彼は見掛けが悪かったと言いますし、聖書にも、彼の手紙には威厳があるけれど、会ってみると貧弱だなという失礼なことが書いてあります。彼は背虫、前かがみで極端な猫背であったろうと言われています。
それだけではなく、彼は肉体のとげと言われる病を持っていました。パウロは「これを去らせて下さいと3度も主に祈ったが、主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われた。「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです、と彼は言いました。その肉体のとげというのは、地中海に蔓延していたマラリヤであっただろうと言われています。ある種のマラリヤは、一度解決されても、周期的に熱病が現われ、すると1週間も2週間もぶっ倒れて何もできないほどの病です。だから、これを取り除いてくださいと彼は祈ったのです。医者のルカがパウロに絶えず着いていたのは、彼のからだの面倒を見るためでした。
そんなボロな体しか持っていないパウロが、第一次、第二次、第三次伝旅行をし、そしてついにローマに行き、いずれは地の果てタルシシュ(スペイン)に行きたいと思っていた。 何が、パウロに、この意欲、情熱、力、やる気を絶えず、絶えず、起こさせていたのでしょうか。それは福音です。彼は「キリストの愛が私に迫っている」と言いました。自分がやっているというよりも、キリストの愛が彼を追い立てている。弱さの中でキリストの力が完全に現れ、そのキリストの力でボロの体が動いているのです。
彼は、自分を罪人のかしらと言っていますが、教会の迫害者でした。人殺しだったのです。その私がすべての罪が赦され、解放された。イエス・キリストの十字架の福音で、私のすべてのあの恐ろしい罪が全部十字架に持っていかれたのだ。私がイエス・キリストを信じるのは、私の罪が十字架に行く、そして十字架から赦しが来る。私の死が十字架に行って、キリストのいのちが私のところに来るから。キリストは私を愛して、私のために十字架にかかってくださった。私が今生きるのは、私のためにいのちを捨ててくださった神の御子を信じる信仰によるのだ。この福音に対する感動、喜び、感謝というものが、パウロの推進力となっていたのです。だから、彼は救いの喜びだけは失った事がないのです。彼は、感動というものを失った事がありません。絶えず福音の感動の中で生きていました。それパウロを押し出していたのです。
彼は天才でした。勤勉でした。努力家でした。義人でした。学問を行いました。正しく生きました。そして極度に律法を全うし、自らの口で「私は律法においては落ち度がない。私の生活のすべてを見ても後ろ指をさす事ができない。ユダヤ教の純粋性を守り、神の栄光のために、異端を打ち砕き、あのキリスト教を撲滅しなければ、殺しても構わない、すべて神のためだから」、と殺害の意気に燃えてクリスチャンを捜しに外国にまで出かけた。
ところが自分の内面はボロボロだったのです。人をさばくということは、実は自分をさばいているのです。他人を苦しめているということは、自分自身が苦しんでいるのです。「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。 …ああ、私は何というみじめな人間だろうか。だれがこの死のからだから、救ってくれるのだろうか」と彼は叫んでいます。律法の極みまで完璧に行ったにも関わらず、平安がない、和解がない、喜びがない、救いがない。あるのは、葛藤。葛藤が激しくなれば、なるほど、彼は迫害を行いました。彼の迫害の激しさは、内面的な葛藤の激しさの現われであった。人を殺しながら、平安なんか持つ事がわできるわけがありません。
こんな私が、神を信じたら、あの罪が赦されて、キリストと和解して、心に平安が来て、喜びにあふれるような人生になった。私はキリストと共に十字架につけられた。生きているのはわたしではなき。キリストが私の内に生きている。私を愛し、私のためにご自身をささげられた御子を信じる信仰だ。「私を愛し、私のために、私を愛し、私のために、」それがパウロの推進力となって、この福音を持って全世界に行き、十人でも、百人でも、いや千人でも、一万人でもできないような仕事を、一人の男がやり遂げたのです。驚くばかりの人生です。
ですから、パウロは「この福音」をローマにぜひ伝えたいと思ったのです。
パウロのあいさつは、1節に始まって、普通は7節のことばに続くのです。ほかの手紙は皆そうです。ところがローマ人への手紙においてだけ、あいさつの間に分断が起こってしまいました。2節、「この福音は」とあいさつが終わらないのに、福音の説明に入ってしまうのです。そしてはっと気がついて、あいさつをし直したのですが、パウロがいかに福音を語りたいという気持ちが前に出ているかが、現われています。
この福音の特徴は、第一に、パウロが発明したり、パウロが書いた神学でも、教理でもなく、これはイエス・キリストが生まれる前から預言者によって預言されていたものだということです。
第二番目は、福音は御子に関する事です。これは忘れてはなりません。当たり前と私達は思いますが、御子が信仰の中心部を離れていき、他の事に移っていくという不思議な現象が起こるのです。律法がとってかわってきます。「あなたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか
どうしてまた律法的になっていくのだとパウロは言っているのです。私達が忘れてはいけないのは、福音とは御子に関することだということです。 この御子は、血統、血筋で言うなら、ダビデの子孫であるイエス・キリスト。ところが聖い御霊によるならば、死者の中からの復活によって、公に神の御子として明らかにされた。イエス・キリストがよみがえった時、このお方は神の御子である事が証明されたということです。
そういうわけで、パウロは何度もローマに行きたい、福音を伝えたい、と繰り返して言っています。ギリシヤ人にもユダヤ人にも、知識のある人にも、知識のない人にも、返さなければならない負債を負っているのです。私はローマにいるあなたがたにも福音を伝えたいのです。
「私は福音を恥とは思いません」。このことばを読むたびに、どうしてパウロはこのようなややこしい言い回しをしたのかと思います。
ダブル・ネガティブ、否定的なことばを2回繰り返しているわけです。「私は福音を誇りとする」と、スパッと言いきればいいのに、なぜ一度、福音を恥じると言って、今度はそれを打ち消すのか。もしかしたら、パウロは福音を恥ずかしいと思ったのだろうか。ローマのクリスチャンたちは、福音を恥ずかしいと思ったのだろうか。もし、そうであるなら、どういう理由だろうか。
私は15歳の時に教会に初めて行って、救いを受けました。当時は路傍伝道が行われていた時代です。洗礼を受けてから、「平野さん、若い人たちは路傍伝道に行ってください」と声をかけられ、日曜日の午後5時に数名が集まって、太鼓やタンバリンをたたいて、歌を歌い、「今晩、7時半から伝道集会があります。皆さん来て下さい。イエス・キリストは救い主です。イエスによって私達は罪が赦 されるんです」と言いながら、3年間、歩き回りました。私はドラム担当で、ドンドンドン「十字架にかかりたる救い主を見よや。 …ただ 信ぜよ。ただ信ぜよ。ドンドンドン。信ずる者はだれも皆救われんこれを繰り返し、「集会に来て下さい」とトラクトを人々に渡しながら歩いたのです。
私の家の近くに行くと、子どもたちが「おばさん、こうちゃんが、太鼓たたいてるよ」と言うので、私の母が見に来るのですが、恥ずかしくないと思ったことは一度もありませんでした。「福音を誇りとする なんて思えなかった。でも、どうして3年間、一度も休まずに続けたのかというと、このパウロのことば「私は福音を恥とは思わない」が励ましとなっていたのです。路傍伝道を毎週しても、教会に来たのは3年間で数名にすぎない。でも、「この町の教会として、どういうことがあっても日曜日はやり続けることが大切だ と牧師が言っていたのです。ただ、種を蒔いて、刈り取りがあるかないかわからないけれど、とにかくやるだけでした。毎日曜日、「やめたい。でも、私は福音を恥としないんだ。」と思いながら、やりました。
また、ローマは、このように絢爛豪華な文化を持ち、神殿には何万という人が訪れます。ローマの財と建築技術がつぎこまれてつくられた神殿です。大理石でできていて、太陽が当たると輝くように麗しい。しかし、キリスト教には会堂一つすらない。学校も、図書館もない。
そして、ユダヤ教徒達からは、「あれは異端だ」と言われ、憎まれ、嫌われ、シナゴーグでは拒絶される。
一方、ローマの人達は、「あれはカーニバリズム(人の肉を食べる事)だ」と言う。「取って食べなさい。これは私のからだです。取って飲みなさい。私の血です。」キリスト教はからだを食べ、血を飲む宗教だと言われ、これが原因で非常に多くのクリスチャンが迫害されました。キリスト教のすばらしさを反映するものは何もありません。
私が高校生のころ、「あんたは宗教やってるの?」と聞かれました。クリスチャンは「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」と言われ、「おい、 キリスト」と呼ばれたのです。恥ずかしかった。嫌でした。 そういう中で、パウロも、「キリスト教のすばらしさを見せてみろと言われても、見せるものは何もない。新興宗教です。わけのわからない気違いじみた、熱狂者がやっている新興宗教。雄弁な哲学 者や、律法に熱心なユダヤ人を前にして語ると、あざけられたり、ののしられたりした。でも、「私は福音を恥としない」と言ったのです。
福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。 第一番目に、福音は神の力だからです。教理でも、神学でも、神学体系でもない。教えではない。それは、力です。デュナミスという ギリシヤ語が使われています。ダイナマイトの語源であることばです。ダイナマイトが炸裂する時、山や丘を変形させてしまうほどのパワーがあるように、福音というのは人を変えてしまう力があります。時には、文化を変え、コミュニティを変えてしまう。そのような力を持っているのです。だから、恥としない。これは、神の力なのだ。
私達は、今まで人間の力で生きています。勤勉であり、努力であり、正しく生きる事であり、頑張ることですが、そのような事では、自分の問題、罪の問題を解決することはできません。鬱であろうと、依存症であろうと、性癖であろうと、悪い習慣であろうと、努力や頑張りでは、乗り越えられないのです。福音は、人の力で頑張りなさい。努力しなさい。自己変革を行いなさいというようなものではありません。福音は、神が人を変える力なのです。
では、どのように変えるかというと、性質が変わっていくレベルではなく、救ってしまうのです。根本的な、霊的な大変革です。救いというのは、特別な人になることではありません。クリスチャンは特別な人ではなく、ごく普通の人です。救いというのは、ノーマルになることです。つまり、救われる以前はアブノーマルだったのです。救われて、私達は、健全な普通の人になるのです。
罪が入ってくるまで、人間は健全でした。でも、罪が入った時に、アブノーマルになったしまった。救われる前は、私達は罪過と罪の中に死んでいた。この世の流れに流されながら、この世の価値観で生きていたのです。大学受験が一番大切だ、「それ受験だ」と言って、「大企業に入社するんだ」と言って、その中で地位を得ることに夢中になって。やはり、いい車に乗りたい。立派なマンションに住むのだ。そのように、この世の価値観の中で流されるように生きてきました。この価値観を疑うことはなかった。そして空中の権威を持つ支配者、サタンに従って生きていたのです。肉欲の欲するままに行って、生まれながらに神の怒りを受けるような人間だったというのです。しかし、あわれみに富む神は、私達を愛してくださった、その大いなる愛によって、イエス・キリストと共に私達を生かしてくださった。それは恵みによるのだとパウロは言っています。恵みによって私達は救われる。そしてノーマルになるのです。
イエス様は、救いの事、「癒されなさい 、「救われなさい ということを、 “Be ye whole.”と言い、ホールということばを使いました。ホールということばは、アメリカでピザを注文する時 に、 ”Would you like to have a piece, or whole?”と聞きます。ホールというのは切れていない、丸ごとのピザのことです。アメリカでは大 きなピザを売っていて、一切れ食べると、もうおなかがいっぱいになってしまう。 A pieceといえば、それだけでランチになります。救われる前の私達は、一つであることを失っていた。切り離されて、バラバラになっていた。神様から切り離され、自分から自分を切り離し、他の人々と自分が切り離されて、なかなか人間関係ができない。ブレンドできない。永続した、建設的なよい人間関係が持てない。愛している人と結婚しても難しい。親子関係も、愛しているにも関わらず、会話が進まない。愛しているのに、愛している人を傷つけたり、拒絶したり、拒絶されたり。それは、神様と自分がバラバラになって、切り離されているのが問題なのです。神様と和解がなく、交流がない。神に、何となく、敵対心を持っている。それが原因となって、自分が自分を愛せない。自分が自分を拒絶している。自分をさばいている。
自分をさばいている人の特徴は、他人をさばいていることです。他人をさばくのは、自分をさばいている事の現われなのです。「人をさばいてはいけない。だから、私は決して人をさばかないと決心しているのに、どうしてもさばいてしまう。愛したいのに、さばいてしまう。でも、他人をさばかないようになりたいなら、簡単です。自分をさばくことをやめれば、他人をさばくことも終わるのです。でも、どうしても、私達は自分をさばいてしまうのです。自分が赦せない。自分が愛せない。自分が受け入れられない。そして、いつも、誰かのようになりたい。「ああなれたらいいのに。自分は嫌だ。自分は嫌いだ。鏡を見ると一番いやらしい人間がいる。
パウロは、あれほど、殺すまでにクリスチャンをさばいていました。自分は正しい。彼らは迷っている。しかし、実はパウロは自分自身をさばいて、自分の中に激しい葛藤を持っていて、その激しい葛藤が迫害となって現われていたにすぎないのです。問題は自分の中に和解がなく、平安がない事でした。どんなに努力しても、頑張っても、あるのは苦しみだけ。ああ、自分はなんとみじめな人間だと、そう思えば思うほど、彼は人をさばいていたのです。どうしたら、救われるのだろうか、と叫んでいたのです。
福音は、救いを得させる神の力だとパウロは体験しました。初めて、自分の努力によってではない。あわれみに富む神が、その大いなる愛によって、この私に向かって「愛している」と言って、圧倒的に、一方的に、無条件で愛している。「パウロ、あなたを愛している。あなたの罪を赦す」とキリストが現われた時、それを受入れて、自分の努力ではなく、全く無代価で、何の値も要求されないで受入れられたのです。「この私が救われた。人を殺してきたこの私が赦されたのか。救われたのか。」パウロは恵みによって救われ、ノ-マルになりました。人を責めたり、さばいたり、捕えたり、傷つけたりすることがなくなったのです。自分の心に平安が訪れた。心が愛で満たされ、行う動機がすべて愛で、キリストの愛によって動かされるようになったのです。「これらの三つのものはいつまでも存続する。それは信仰と、希望と、愛である。そして、その中で最も偉大なものは愛なんだ。」心から、パウロは語れるようになりました。
あの、さばいて人を殺していたパウロが、愛を以って人を生かす人物に全く変えられたのです。
数ヶ月前に自殺未遂をしていたTさんも、救われて、喜んで、キリストのあかしをして変えられています。人を変える力が福音にあ るのです。だから、私は福音を恥と思わない。
どうしたら、その力が人々に及ぶのでしょうか。それは信じる事によってです。信じるなら、福音の力が押し寄せてくる。ただただ、信じればよい。信じるというのは、受入れることです。「心を開いてあなたの救いを受入れます。あなたの十字架の血の贖いを受けます。あなたの罪の赦しを受けます。あなたの救いを受入れます。どうか、お救いください。」と受入れる事、ただ信じる事によって、この福音の力が働き、人が変革されていくのです。
では、だれがその経験ができるのかというと、ユダヤ人をはじめギリシヤ人も、知識のある人も、知識のない人も、未開の人も、た だ信じるならこの福音の力に預かる事ができるのです。
ファミリーカウンセリングサービスでの集会に行き、カウンセリングというのが今の社会において痛切に必要なのだと感じます。立 派な若い青年達が、迷って、苦しんで、救いを求めて、どうしていいかわからないので、カウンセリングに救いを求めて来ているので す。どこに行っていいかわからない。宗教は怖いし、何がなんだかわからない。どうしたらいいのかと、インターネットを開いて、ファミ リーカウンセリングサービスを見つけて行く。荒木さんは「カウンセリングは助けますよ。でも、時間がかかります。信仰なら、早く変わ りますが、どちらがいいですか」と聞く。それでも教会に来る人は少ないのですが、来られる方、イエス・キリストを信じる人もいて、最 近7人の人がファミリーカウンセリングサービスから洗礼を受けました。そのようにして救われた人達が、今度はあかしをして、また人 を引き付けているのです。
最後に、パウロのあいさつをもう一度読みます。6~8節 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召さ れた人々です。――このパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と 主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
パウロは自分は召されたのだと言いますが、ここにおいて、あなたがたもイエス・キリストによって召されたのだよ。あなたがたがキリ ストを選んだのではない。キリストがあなたがたを選んだのだ。キリストが先手を取ったのだ。キリストが手を差し伸べたのだ。キリスト があなたがたの心を動かしたのだ。キリストがカウンセリングサービスに、キリストが教会に、キリストがスモールグループに、キリスト が救いに導いたのだ。キリストがあなたを選んで召し出したのだ。
そして、ローマにいるすべての神に愛されている人々。召された聖徒達へと、この手紙を書いているのです。だから、どうしたんですか。ここからどんなメッセージを拾うのですかと言われるかもしれません。最も大切なメッセージがここに書かれています。クリスチャンの皆さんは、神様は愛しているということばを毎週聞いて、耳にタコができました。神は愛です。もう分かっています。でも、本当に分かっているだろうかというのが、いつも私の大きな質問なのです。自分が愛されている存在である事を、ホライズンのメンバーはどれほど分かっているだろうか。「自分は愛されている。愛されている。愛されている。無条件で愛されている。欠点、失敗、全部ひっくるめて、自分は愛されている。自分のすべてが受け入れられて、そのまま、ありのままで自分は愛されているのだ
と、どれだけの人が実際、本当に、体験的に分かっているだろうか。「神様の一番大きな特徴は何ですかといえば、皆「神は愛です」と答えるのです。愛が一番大切です。最も大いなるものは愛です。クリスチャンなら、だれでも言いま す。でも、あなたは愛されているということが分かっていますか。
そこからしか、本当の変革は起こらないのです。正しいことが教えられて分かるかというと、なかなか分からない。正しい事を教えて、皆正しくやれば、牧師が一番簡単な仕事です。「1日1時間祈りなさい。」「ハイ」と皆1日1時間祈るようになる。「聖書はせめて20章は読むんですよ。」「日曜日は絶対休まない」「わかりました。休みません。」と正しい事を教えて、正しい事をやるなら、牧師ほど、また子育てほど、楽な事はありません。
でも、人は正しい事では変えられないのです。なぜ、変わるのか。愛されていることを自覚した時に変わるのです。ところが、罪の中に生まれたわれわれは、愛されているということが一番わからないのです。結婚して20年、30年経って、妻が色々助けてくれて、面倒みてくれて、それでもほとんどの男は妻から愛されていることがわからないし、本当かしら、いずれ捨てられるのではないかしらと思うのです。若い男女が恋愛して、愛している、大好きと言っているけれど、本当にこの人から愛されているのだろうかと、皆、思っています。自分が愛されていると信じられない。罪の性質というのは、そういうものです。
どうして、神は私を愛しているのか。どうして、神は私のありのままの姿を受入れられるのか。どうして、神はこんな私を愛してくれるのかわからない。どうしたらいいのだろう。さあ、一生懸命宗教に励もう。一生懸命祈ろう。一生懸命聖書を読もう。善行をしよう。そうすれば、神に愛されるだろう。このように皆思っているのです。
親は、こうするんだよ、ああするんだよと言うので、ああ、親の言う事を聞けば愛される。勉強すれば、努力すれば愛されるんだと、子どもは親に愛される為に、努力する。親を喜ばせようと努力する。すると、だんだん親を憎むようになってくるのです。やればやるほど、親が嫌いになってくる。
同じです。神に従おうと思えば、思うほど、神が嫌になってくるのです。愛から始まっていないからです。愛されているから神様に従うと言うなら別ですが、その愛が分からない時に、ただクリスチャンをやるのだというから、おかしくなってくるのです。パウロは、この手紙を書いているけれど、「ローマにいるすべての、神に愛されている人々」に書いています。神はあなたを愛しているのだと、パウロは愛をこめてこの手紙を書きました。私も皆さんに、愛をこめてメッセージを送り続けたいと思います。
愛する天のお父様。あなたが私達にプレゼントしてくださったのは、福音です。あなたは愛の帯で結ばれたパッケージを差し出して、「手を伸ばして受けとめてご覧。受けとめるだけでいいんだよ。ありがとうと言うだけでいいんだよ。お前のものだよ」と、救いのプレゼントを与えてくださっています。どうか、素直な気持ちで受け取り、神から愛されている喜びに浸る事ができますように。このように、葛藤がありながらも礼拝に行き、神を信じ、助けを求めて言うるあなたの子どもたちのひとりひとりに、あなたがどれほど愛しているかをはっきりとお示しくださるようにお願いいたします。
キリスト・イエスの御名によってお祈りいたします。アーメン
新宿ホライズンチャペル | 新宿において礼拝を持ち、ホームレスミニストリーも行っています。 |
横浜ホライズンコミュニティチャペル | 横浜にあるホライズンファミリーチャーチ。Bible Studyのコーナーでは聖書の解説が連載されています。 |
軽井沢ホライズンチャペル | 軽井沢フェローシップバイブルキャンプ内にあるファミリーチャーチ。 チャーチスクールも併設されている。 |
湘南ホライズンファミリーチャーチ | 湘南にあるホライズンファミリーチャーチ。「子供の家」というプリスクールもあります。 |
埼玉ホライズンチャペル | 埼玉にあるホライズンファミリーチャーチ。 |
Grace Christian Fellowship | |
カルバリーチャペル・モデスト (カリフォルニア州) | |
Horizon Christian Fellowship |
バイブル カレッジ(HBC) | 東京ホライズンチャペルの神学校です。町田チャペルに於いて開講しています。 |
ゴスペル(HGC) | 東京ホライズンチャペルのゴスペルクワイヤーです。町田チャペルを中心に活動しています。 |
Horizon Language School | 町田ホライズンチャペルに於いて開校している語学スクールです。英語・中国語・ドイツ語・韓国語を学ぶことができます。 |
クリスチャン グローバル ネットワーク テレビ | 日本各地において伝道集会『LOVE SONATA』を開催している、CGNTVのホームページを見ることが出来ます。 |
NPOファミリーカウンセリングサービス | 東京ホライズンチャペルのメンバー荒木氏が行っている、ファミリーカウンセリングサービスのホームページです。 |
大森英樹絵画館 | 東京ホライズンチャペルのメンバー、大森氏のホームページです。 |
ゴスペル・カフェ | 東京ホライズンチャペルのメンバー、白鳥夫妻が町田市の玉川学園で経営するカフェのホームページです。 |
アメージング・グレース | 東京ホライズンチャペルのメンバー、宮本富江さんのホームページです。 |
アガペーインターネット放送局 | キリスト教放送局。このサイトではインターネットで牧師の説教(メッセージ)を聴くことができます。 |
いのちのことば社ホームページ | キリスト教出版社。聖書や教会関連グッズやゴスペルCDなどを出版、販売しております。 |
ゴスペルジャパン | キリスト教関連のリンクを集めたサイト。キリスト教のポータルサイトとして役立ちます。 |
Osaka International Church | 大阪にあるインターナショナルチャーチです。 |
日曜日 | 第一礼拝 | 9:00~ |
第二礼拝 | 10:45~ | |
日曜学校 | 10:45~ | |
英語礼拝 | 15:00~ | |
火~金曜日 | 早天祈祷会(※) | 8:00~ |
水曜日 | 祈祷会 | 19:30~ |
土曜日 | 土曜礼拝 | 18:00~ |
日曜日 | 第一礼拝 | 7:00~ |
第二礼拝 | 14:00~ | |
英語礼拝 | 10:30~ | |
日曜学校(英語) | 10:30~ | |
日曜学校(日本語) | 14:00~ | |
木曜日 | 祈祷会 | 19:30~ |
町田チャペル | 男性会 | 毎週日曜日 13:00~ |
ヤング・マザー | 第3日曜日 13:00~ |
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女性会(英語部) | 毎週月曜日 17:00~ |
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ナオミの会 | 第3木曜日 10:30~ |
女性学び会 | 毎週金曜日 10:30~ |
世田谷チャペル | バイブルティータイム | 毎週火曜日 13:30~ |
ファンキーフライデーナイト | 毎週金曜日 19:30~ |
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その他 | 英語部ホームフェローシップ | 毎週水曜日 19:30~ |
佐藤家集会(町田市成瀬にて) | 毎週木曜日 19:30~ |
|
金町集会(葛飾区新宿にて) | 第1金曜日 19:30~ |
所在地 | 代表者 |
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北海道江別市元江別 | 石田 |
新潟県長岡市 | 花木 |
愛知県名古屋市 | 北川 |
福岡県築上郡吉富町 | 下畑 |
大分県下毛郡三光村 | 浅野 |
静岡県伊東市 | 松谷 |
※ 駐車場は近隣のコインパーキングをご利用ください。
わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。
-ヨハネ福音書14:12
2001年1月、東京ホライズンチャペルのミニストリーの一環として開校されました。福音主義的な聖書理解の下に、聖書を学ぶ教会牧師主導型の訓練プログラムです。
将来、クリスチャンのリーダーとして主の働きに携わり、牧師、伝道師、そして、教会に仕えることを目指す生徒を応援します。
他に、聖書の学びを中心とした信徒課程や通信制度のプログラムもあり、個々の必要に応じて対応しますのでお問い合わせください。
聖書のことばは学ぶ者に活力を与えます。主イエスは「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちなのです」と宣言されました。 主が語ったことばを食べている者は、霊といのちに満ち溢れるはずです。私たちははまず、生きて働く聖書知識を身につけてエネルギッシュに生きることを学びます。
奉仕の技術を身につけて、効果のある働き人を育てる目的をもっています。広範囲にわたる奉仕を体験して、与えられた才能と賜物を発見し、また伸ばし、主のわざに用いられて、実を結ぶまでに成長することを目指します。
学び、成長、奉仕、伝道などすべての面に働いてくださる聖霊とその働きを重んじます。
聖霊が上から臨むときに信仰者はパワーを受けて証人となると、約束されています。 「精力に満ち、 その力は強い。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける」 主の力を体験して、御霊の実を結ぶ福音の証人になるように努めます。 また私たちが展開している開拓伝道に参加して、開拓伝道希望者に具体的な指導と訓練を与えます。
教師と学生たちが共に、聖霊の与えるバイタリティで輝き、学び、活動するチームになり、主のよきわざに適う者となることを目指します。
聖書を学ぶにはいろいろな方法がありますが、ホライズン聖書学校ではみ言葉に聞き、聞いたことを実践することに強調点を置いています。
ホライズン聖書学校が皆さんのためにお手伝いできることは:
人が成長するためには、多くの助けと訓練が必要です。み言葉を学び、また助け合うことを実践し、実際的な訓練を受ける、一つ一つのことはつらく長い道のりのように感じますが、それを成し遂げたときに経験する喜びは格別です。人生の2年間をホライズン聖書学校で過ごしてみませんか。
東京都葛飾区の出身。東京聖書学院を卒業後、米国留学。デューク大学院神学部を卒業(M.Div.)。メソディスト教会から按手。17年間アメリカで牧会をした後、1989年帰国。東京ホライズンチャペルを開拓する。著書に、『ヨハネ福音書の謎』他多数。
茨城県日立市出身。アメリカ留学中に信仰を持つ。フラー神学大学院卒業(M.Div., D.Min.)。会衆派教会より按手。アメリカで15年伝道、牧会の後帰国。ホライズン聖書学校校長。
山梨県出身。日本大学理工学部卒業後、中学校で教鞭をとる。東京ホライズンチャペルのスタッフを経て、横浜ホライズン・コミュニティ・チャペルを開拓、現在に至る。カルバリチャペル・バイブルカレッジを卒業。ホライズンチャペルから按手を受ける。現実療法によるカウンセリングを学び、本校でも、またJTJ宣教神学校でも、カウンセリングを教えている。
英国で聖書学、クリスチャン・カウンセリング、牧会学、ユダヤ教とキリスト教関係論を学び、ケンブリッジの神学校CJCRで修士号取得。1995年フルダ・ミニストリーを設立。著書に、『一人で学べるルカの福音書』(文芸社出版)がある。
ホライズン聖書学校では、将来、主イエス・キリストに仕え、伝道と奉仕のわざに励もうとしている生徒を募集しております。
「人にはできないことも、神にはできないことはありません」という信仰をもって、神に献身し、神とキリストの体である教会に仕えようとしている人を求めています。
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